キッチンからお送りします。

キッチンにて、思った事やった事、書き連ねています。

「いつかこの街を 思い出して きっと泣いてしまう」

今週のお題「好きな街」

 

私の好きな街は、渋谷、池尻、代官山のトライアングル地帯。

 
今は、きっと、代官山なんかは最先端オサレスポッツとなっているのだろうけど、私が好きだったのは、もう10年くらい前の話。
 
 
なぜこのトライアングルが好きかというと、単純に職場があった場所を繋いだ、というだけ。けど、選んだわけじゃなく、何故か職場がこのトライアングルに収まったから、今、地元の関西で、どこで働いていたかと言うと、イキったやつみたいになってしまうけど、違いますから…。
 
 
私が、地元から東京に上京した時、主要乗り換え駅が渋谷だった。降り立った渋谷は、本当に人で溢れていて、スクランブル交差点なんて地元にはなかったYO!などと最初は思っていた。
 
けれど、東京で生活していくうちに、渋谷が落ち着く様になった。帰省して東京に戻る時も、渋谷で乗り換えると、「帰ってきた」と思う様になった。地元に戻ってきた今でも、ニュースでスクランブル交差点が映るとホッとするし、東京に遊びに行っても、なんだかんだで渋谷に出てしまう。
 
種々雑多な人がいる分、逆に自分ってそのままでもいいんだな、なんてちょっぴり哲学的な気分になれる。家出っ子少女のような子達が、夜のセンター街でインタビューされ、「自分だけじゃないって思えるから安心する」って渋谷について話してるのを、たまにテレビで見かけるけど、この気持ちもよく分かる。なんか、あんなにごちゃごちゃしてて、異常な人の多さなのに、安心する。
 
 
これは、私だけでなく、上京した人には結構よくある話のようで、どうも初めて上京した時に降り立った主要乗り換え駅には愛着が湧くよう。周りの地方出身者に聞いてみると、同じような事をそれぞれの主要乗り換え駅の街に感じているらしかった。新宿、池袋、品川…と皆、それぞれ愛着のある主要乗り換え駅の街を持っていた。
 
 
池尻は、渋谷と 三軒茶屋の間で、グラデージョンのような街だと思う。渋谷に近いところはオフィス街っぽいし、ちょっと外れたり、三茶に近づくと住宅街。だけど、その間の感じが落ち着いた。何より「池尻大橋」っていう駅名が好き。4文字熟語みたいで語呂がいい。急行は止まらないけど、語呂がいいから許してやろう、という気になる。東京には、4文字の 地名が多くて、他に赤坂見附とか溜池山王とかも好き。と、とにかく、池尻は何ってことはないけど、自分にとっては、職場があったから、愛着があるんです。
 
 
代官山は、私がいた頃は、今みたいに最先端オサレスポットではなかった。私がいたちょっと前には、ブームがあって人がワンサカいたそうだけど、私がいた頃にはブームが去って、そんなに人がワンサカいる様なところじゃなかった。
 
それでも、街にはおしゃれさが漂い、程よくまばらに、オサレな人がいたり、芸能人がいたり、外国の人がいたり、セレブ然としている人がいたり、地元の感じのいいマダムがいたり…みんなどこか自分の文化を持っている雰囲気がしておもしろかった。
 
とにかく、人がまばらな分、時間がゆったりしている様に感じられる場所だった。それと、街路樹のハナミズキが毎年、綺麗に咲いて、好きだったな。
 
 
この渋谷〜池尻〜代官山、という狭いスペースの中に、私の20代の思い出のほとんどが詰まっている。辛いこと、悲しいこと、楽しいこと、嬉しいこと…。
 
でも、きっと今行ったら、好き、とは感じないと思う。懐かしい、とは思うと思う。けれど、好きという感情は伴わないと思う。何故なら、私が好きだったのは、10年前の街の姿だから。前にそこにあったものは、もう無い。その時好きだったお店も、その時好きだった人も嫌いだった人も、その時好きだった自分も嫌いだった自分も。だから、今、これらの街に行っても、その街はもう、私の好きな街ではないのだろう、と思っている。
 
 
これは、仕方のないこと。街は、人で出来ている。人は建物のように、ずっとそこにあるわけじゃない。みんな進んでいく。建物だって永久にそこにあるわけじゃない。どんどん新しい建物やお店が出来て、どんどん景色の変わる。東京は、そのスピードが、特に早い所。毎日居ると感じないけど、離れてみて、そう実感する。それでいいんだと思う。みんな前に進んでいるのだから。
 
 
でも、いつかこの街を思い出してきっと泣いてしまう。
 
なーんて、ドラマのタイトル、モジりながら、Googleマップ見て、昔を懐かしむのでした。
 
※ドラマ見てません。内容と全然関係ないと思います。すいません。だって、タイトルだけで切なすぎるんで、見られないんです。すいません。