キッチンからお送りします。

キッチンにて、思った事やった事、書き連ねています。

「バスト」から「母乳」へシフトチェンジ出来なかった私。

母乳については、妊娠中から産後まで、ずっと悩み続けてきました。服用していた薬についてと、出産してからは、出が悪い事。そして、まだもう1つ悩む事がありました。

それは、母乳を飲ませる事への違和感です。

違和感、というか、抵抗感、というか…。吸われている事が嫌という訳ではないのです。息子が自分の胸の中で、一生懸命母乳を飲もうとしている仕草は、この上なく愛おしく感じていました。が、何故か感じる違和感。1番感じる瞬間は、胸を出す時と、胸をしまう時でした。何だか心がざわざわするような、フワフワするような、嫌、とは違うんだけど、落ち着かない感じです。

入院中は、人前で胸をさらけ出すことへの羞恥心なのかと思っていました。
銭湯に行っても、下着を脱ぐ瞬間って、若干、心の片隅に恥ずかしさはありますよね。けど、脱いじゃえば大丈夫、みんな裸だし、誰も見ちゃいないよ、ってすぐ平気になりますよね。それと同類だと思っていました。

でも、時間が経っても、母乳を飲ませることへの違和感は消えない。入院中も、家に1人であろうと、実家であろうと、どこでも、どんな状況でも消えない。

母乳をあげていた時期は、出ないからなのかな、と思っていました。確かに、最初からすごく出が良ければ、違和感など感じなかったかもしれません。

出ない分、頑張って飲ませなきゃいけない。それで余計と吸わせている時間が苦痛に感じてしまい、違和感が大きくなったのかもしれません。

この頃は、母乳が出ないという事と、この違和感を感じる事で、私は母性が低いのではないか、などと思っていました。

ミルクで育児をするようになって、母乳が出ない不安やプレッシャーからは解放されたのですが、違和感を感じていた自分はおかしいのかな?という疑問だけが残り、調べたり、考えたりしてみました。


こういう違和感を持つ方は、ごく少数のようでした。周りの友達や家族の中には皆無で、私が、母乳を飲ませる時ちょっと違和感を感じる、と言うと、きょとん?とされました。
ネットなどを探しても、投稿サイトなどにわずかに母乳に対して抵抗感のある方の悩みは見られました。元々子供が苦手だったり、不摂生故自分の体がきれいだとは思えなかったり。でも、私は、元々子供好きですし、息子も大好きです。服薬してきたものの断薬の後は飲ませたい、と思っていたし、どの方の悩みもしっくり来ずでした。

いろいろ考えた結果、私が思うに、私はどうやら、自分の胸が、妊娠するまでは「バスト」だったのに、出産した途端「母乳」「お乳」に変わる、この変化に付いていけなかったのだと思います。


出産するまで、私の胸は、「バスト」でした。どうすればキレイなバストを保てるかとか、バストアップするストレッチとか、キレイに魅せる方法とかが巷には溢れていて、下着を買いに行けば私だって例外なく、こっちは形が良いだの、あっちは可愛いだの言ってます。けれど、産後、バストは急に「母乳」や「お乳」に変わるのです。私の胸について、バストを綺麗に魅せるだのなんだのだった情報が、急に母乳が良く出るマッサージや食べ物などの情報に変わるわけです。

女でありたい、ということではありません。むしろ、今の私は女らしさゼロで髪の毛振り乱して息子を追いかけています。ただ、大人には、食器に盛られたご飯が並び、赤ちゃんには私の胸、っていうのが、何だか1番馴染めないなかったのです。「お腹すいたね〜、はい、どうぞ」と自分の胸を息子に差し出す事に対して、あれ?これこの子の「ご飯」だよね?ってことは、私の胸=息子のご飯…?ってなってしまったんです。

頭では母乳の素晴らしさは分かっているし、そうやって自分の胸を差し出せるのは、愛ゆえだと思います。母乳で育てている方は、色んな苦痛に耐え、栄養を持ってかれてフラフラになりながら頑張っていらっしゃって、すごいな、と思っています。赤ちゃんにとっても、栄養、免疫いっぱいの母乳とお母さんの温もりの中で大きくなる事は、とってもいい事だと思います。でも、私の心は、「バスト」から「母乳」の変化に付いていけなかったのです。「ミルクは牛の乳、人には人の乳」っていう方が自然なのは分かっています。でも、それが出来なかったのです。大人は大人用の食事、赤ちゃんには赤ちゃん用の食事、でも、食事はまだできないから、哺乳瓶に入ったミルク。っていう方がしっくりいってしまったんです。


もしかすると、他にも理由はあるのかもしれません。小学生の頃、成長が、早かったので、胸にコンプレックスがありました。中学の頃は、胸をすれ違いざまに鷲掴みにされるという痴漢に遭いました。だから、無意識的に、胸を格納しておきたい本能がある、とかかも知れません。産後うつの影響かもしれないし、脳科学とかで母性が計れるとしたら、ひょっとするとその数値が低いのかも知れません。

深層心理の部分は、自分でも分かりません。ただ、子どもが生まれて、自分がそんな風に母乳が出なかったり、母乳への違和感を感じるなんて、思ってもいませんでした。母乳をあげよう、と、出産前は断薬までしたのに…。そんな自分に悲しくなったり、悔しくなったり、疑ったり…。

けれど、そんな私でも、息子は、自分には私しか居ない、と言わんばかりに私が抱っこしないと泣き止まない。そんな息子を見て、今は、そんな自分がどうだこうだ、と言っても仕方ない。息子のことは、可愛いし大好きな事には変わりない!母乳をあげられない分、いっぱいいっぱいハグしたり、抱っこしたり、遊んだりして、愛情を伝えよう、と切り替えられています。


出産って、こういう想定外の気持ちになったり、自分でもびっくりするくらい強くなったり、優しくなったり、図々しくなったり…本当に色んな自分を発見させららる出来事だな、と思います。



もう直ぐ、息子の1歳の誕生日。こんな私のところに生まれてきてくれてありがとう。生まれてきてくれて、あなたがいるだけで、すごく幸せです。あなたのお陰でいっぱい笑って、考えて、悩んで、また笑って…っていう楽しい時を過ごせています。1年間一生懸命大きくなってくれてありがとう。そう伝えたいと思います。

若干ダメ母なんだろうなぁ、と思いつつ、良いお母さん目指して、息子が楽しい幸せ!とたくさん思えるように、気持ちを新たに、日々精進していきたいと思います。

いざ出産。「母乳?」に追い詰められる。

出産は、予定日を1週間弱遅れてやってきました。40時間のロング出産でした。息子が生まれた瞬間は、彼には申し訳ないけど、妊娠からロング出産までを終えた達成感で涙しました。もちろん、いろんな処置を終え、落ち着いた頃に、じわじわと息子への愛おしさも湧いてきましたが、いかんせん、フラフラだったので、許してね、息子さん。


出産後、衝撃を受けたのですが、助産師さんや周りの入院しているお母さん方が、すっごい「母乳、母乳」と言っている事でした。今考えれば、当たり前の事だとは思います。赤ちゃんにとっての生命線。でも、その時の私は、そんなにひっきりなしに授乳時間がやってきて、母乳を出す事に一生懸命にならないといけないのか!と衝撃でした。

もちろん、3時間毎の授乳とか、最初から出るわけじゃない、とか予備知識はありました。服用していた薬の件があったから、何回も、何時に薬を飲んだら何時に母乳を飲ませて…みたいなシミュレーションもしていました。けど、リアルは違った。何というか、あの助産師さんのパワーと、それに付いていけるお母さん方。中には、助産師さんが「ゆっくりでいいよ」と言っているのに、「いや、もっと出るようにマッサージしてください!」と怒り気味に、痛ーい母乳マッサージを懇願するお母さんもいました。そんな姿を見て、私は、す、すげぇ…、と、気後れしてしまったのです。

一方、私の母乳は、雀の涙ほどしか出ませんでした。退院してからも、それは変わる事なく、マッサージやハーブティー、添い乳など、色々やってみました。けれど、一向に増える様子もなく、精神的にも、体力的にも、どんどん苦しくなっていきました。もっと入院中に会ったお母さんみたいに、助産師さんに食らいつくべきだった、とか、薬を飲んでいたからかな?とか、私が頑張ってないからなのかな?とか、息子への愛情が足りないからかな、などと自分を責めるようになりました。

そして、追い打ちをかけるように、周りのおばちゃん、おばあちゃん達が、「母乳なの?母乳なの?」と聞いてきました。これで、私はかなり追い詰められました。

実母や義母など家族に言われるのは、まだいいんです。孫の体の事ですから、いろいろ聞いてくれても納得できます。

でも、近所のほとんどお話ししないおばあちゃんやら、スーパーとか病院の待合とかで会った初対面のおばちゃんまでもが、「可愛いわね、母乳なの?」と二言目に、母乳かどうかを聞いてくる事は、納得できませんでした。

捉える私側の精神状態の問題もありますが、母乳じゃないとダメ、と言われているように感じるのです。母乳じゃないとダメ=母乳が出ない母親ダメ、っていう事なのか、と感じてしまうんです。

更には、そういう話をしたいにしても、二言目は無いだろう、と脱線気味な事まで思ってしまいます。だって、例えば、飼ってるペットに「可愛いですね。ペットフードはドライですか?ウェットですか?」とか、ご本人に「お元気そうですね?主食は何ですか?」とか聞きますか?初対面でですよ。普通、もうちょっと話しますよね?「お元気そうですね。お散歩ですか?へぇ、毎日ですか?健康に気をつかっていらっしゃるんですね。食生活なども気をつけていらっしゃるんですか?」っていうくだりが必要でしょうよ!何でいきなり、私と息子のプライベートな話をしなきゃならんのよ⁉︎と、本当によく思っていました。
あまりに頻繁に見知らぬ人に「母乳?」と聞かれていたので…。
けど、二言目じゃなく、いろんなくだりがあったら、母乳じゃないダメ=出ないダメ母、には直結しないんだけどなぁ。

まぁ、きっと、母乳が出ない事で、イライラしていたんだと思います。母乳が出ていたら、ここまで心の中でツッコミを入れる事もなかったかも知れません。

そんなこんなで3ヶ月目くらいまで、出ない母乳を飲ませつつ、ミルクで育てていましたが、さすがにしんどくなってきて、もう諦めて良いか、主人に相談しました。主人は、母乳にしろ、と言った事はありません。私が1人で、ミルクでお金がかかるのは申し訳ない、と思っていたから、何とか出そうとしていただけです。

主人は、あっさり、ミルクにすればいいじゃん、と言ってくれました。子供の健康に変わりがないなら、お金がかかっても、自分がストレスの感じない方を選びなよ、と言ってくれました(ちなみに我が家は家計に余裕があるわけじゃありません)。そして、初対面母乳?おばちゃん達の話も大爆笑しながら、女の人って、そんな事聞かれんの?大変だねぇ。と同感してくれました。これは、本当に救われました。


母乳が素晴らしいものである事は分かっています。ミルクに変えられない成分ではある事も分かります。母乳で育てられるならその方がいいのだと思います。今のところ(環境ホルモンの影響などは、まだ分かりませんので…)。きっと、もっともっと、大変な思いをしながら母乳を頑張っている人もいる。子供にとって、その方が良いと思う人もいる。私は甘いのかもしれない。

けれど、私は、母乳が出ない事で、ストレス溜めて、自分を責めて、息子と過ごす時間が辛くなってしまったら、本末転倒すぎる。それよりも、もっといっぱい笑って過ごしたい。過ごそう。と、主人と話して思いました。こうして、私は、ミルクで育てていく事にしました。



けど、もう1つだけ、私を悩ませる母乳についての事がまだあったのでしたが…それは、また次に。

さ、息子さんの誕生日プレゼント、買いに行く事にします!

出産を振り返る〜妊娠発覚、そして、断薬。

ブログを始めて、なるべく毎日書きたいな、何て思っていたものの、即効挫折。というより、他の事に私の自由時間(=息子の昼寝中)を取られていました。

というのも、もう直ぐ、息子の初めての誕生日。元々、私はイベントごとへの興味が薄い為、息子が生まれてからの、お宮参りとかお食いはじめとか、クリスマスとか、ぜーんぶアッサリ済まして来ました。ハーフバースデーなんて可愛いものもせず…。さすがに、ごめんよ、息子さんや。と思って、初めての誕生日はちゃんとお祝いしてあげることにしました。飾り付けしたり、ケーキを作ったり、コスプレして写真をいっぱい撮ったり…。っていうのを計画して材料をネットでポチっとな、とするだけで2日分の私の自由時間は消えて行きました…。でも、可愛い息子の為なので、ま、いっか!楽しいですしね!


そんなことをしている間、あぁ、去年の今頃、予定日間近でビビってたなぁ、とか、永遠とつわりになやまされてたなぁ、とか、色々出産についてのことを思い出していました。


周りの先輩ママ達に、出産前後のことを聞くと、意外と皆さん、忘れてるんですよね。分かります、いざ産まれたらそれどころじゃないですね。私も何かに書き留めておかないと忘れてしまうこともたくさんあるだろうと思うし、いい節目なので、これから何回に分けて書き留めておくことにします。


妊娠発覚、そして、断薬。

我が息子さんを妊娠したと分かったのは、勤めていた会社をクビになった直後。クビになった、というより、クビになれた、と思うようなパワハラを受けての末。なので、私としては、仕事も辞めて清々していた頃でした。しかし、パワハラのストレスにより、慢性の頭痛に苦しんでいて、頭痛外来に行っても治らないほどで、最終的には精神科でうつ病の薬を処方してもらって、ようやく頭痛が治まっているという状態でした。もっとちゃんと計画的に妊娠すればいいのは正論で、そう理想形になるわけでもなく…。

私が飲んでした薬はSNRIという種類の薬のみで、抗鬱剤の中では比較的弱めの薬だと思います。断薬、つまり、薬を飲まないでいる事をすると、人によっては、離脱症状が出ます。全く出ない人もいるようですが、残念ながら、私は出る方でした。何度か薬が切れてしまって 、ものすごいめまい、それに伴う吐き気でフラフラになりながら、お医者さんに薬をもらいに行くということもありました。

妊娠が分かってすぐに、産婦人科、精神科のお医者さんに相談しました。産科医は、抗鬱剤はやめて精神安定剤に代えてもらって、と言いました。一方、精神科では、精神安定剤は症状に合ってないし、服用中の薬は、今の所、胎児への影響は少ない薬だから妊娠中も飲み続けよう。断薬した事で、離脱症状や精神不安定になったら、その方が赤ちゃんへの影響があるんじゃないか。という見解でした。


妊娠中は、薬を飲み続ける事になっても、私は、産後の母乳の事を心配していました。胎児への影響は少ないとされる薬ですが、母乳にはダイレクトに薬の成分が入ります。精神科では、今から減薬を初めて、1年後くらいに断薬を目指して、断薬出来てから母乳を開始したら?と言われました。
通常、断薬は1年程度は時間をかけて減薬しながら断薬を目指します。でも、それでは免疫が1番多いと言われる初乳はおろか、その頃にはもう母乳は出なくなってるよ…と思いました。
この時に減薬を始めたら、断薬出来ても、産後3ヶ月。産後3ヶ月までの間、母乳を飲ませる事なく、そこから飲ませ始めて母乳が出るなんて、きっと奇跡に近い事です。飲ませ続けて、3ヶ月目に母乳が出始める人はいるようですが、あくまで飲ませ続けていた場合ですもんね。

産婦人科助産師さんには、薬を飲む前に母乳をあげたらどうかと言われました。体の中の薬の成分が無くなってから、母乳を飲ませて、その後薬を飲む、という方法。薬を常用せざるを得ない病気の方などで、中にはこういう方法を取る方もいるようです。ただ、私の飲んでいた薬は、体内に50時間程度残ります。50時間に1度しか母乳をあげられない。これでは母乳も出てこないのではないかと思いました。

結局、母乳を飲ませたいのなら、断薬するほか、手はありませんでした。


そもそも、なぜ、こんなに母乳を飲ませたかったのか。飲ませたい、というより、飲ませなくてはいけない、と思っていました。

理由は2つありました。1つは金銭面。やっぱりミルクとなるとお金がかかりそうだ、と思っていまいした。我が家の家計は、私が出産と育児が少し落ち着くまでは、主人1人にかかっています。私が断薬出来ないから、ミルク育児になりお金がかかる、というのでは、主人に申し訳ないし、肩身が狭い気がしていました。

もう1つの理由は、周りの目。実母や義母にミルクで育てている、というと何て言われるだろう、と思っていました。他にも、ネットや育児雑誌など見ても、母乳がベスト、と書いてある。産婦人科でも、ミルクで育てる事はダメじゃないけど、なるべく母乳で頑張ろう、って言われる…。こうして、だんだん、母乳を飲ませなくてはいけない、という思いが作られて行きました。



最終的には、断薬はできました。妊娠9ヶ月の頃に、後期つわりが激しくなり、吐き気がひどくなりました。ちょうどその頃、手持ちの薬が切れてしまったのですが、病院に行きたくてもつわりがひどくて動けない。離脱症状も出ているんですが、つわりと重なって、もうつわりだか、離脱症状だか分からないものになっていまいました。だから、これはつわりだ、と思って耐えるしかない、と言い聞かせ、めまいと吐き気に耐え、陣痛が来た時には、めまいも吐き気も痛みでぶっ飛んでおりました。こうして、産後に離脱症状が出る事もなく、薬を飲まないまま、現在に至っています。

ただし、これは、同じような状況の方には、絶対にお勧めできない方法です。なぜなら、無理やり断薬した後に、病状がひどくなってぶり返す事があるからです。実際に、出産後、私は産後うつのような状態になりました。まぁ、産後うつは、無理な断薬だけが理由ではないと思いますが。でも、その時、初めて、だから無理して断薬してはいけない、と言われていたんだ、と痛感しました。もし、同じような状況の方がいたら、ミルクでも大丈夫だよ、って言ってあげたいです。妊娠中も産後も、お母さんの心の平穏が、赤ちゃんにとっての1番の安らぎですからね。


本当に悩みましたが、今となっては、無駄な時間だったかもな、と思います。それより、もっとマタニティライフを楽しめばよかったわ、と思っています。

とは言え、産後も、この母乳とミルクについては悩み続けてしまうのですが。それはまたにします。


※ここでの断薬方法は、絶対に危険です。真似しないでください。何かあっても責任は持てません。断薬は、必ず主治医の方と相談してください。あくまで、医師の言う事を聞かずに、痛い目にあったダメな患者のダメな例として受け止めてください。

食洗機いらず!楽しくって仕方ない石鹸食器洗い。

「食洗機は使ってません!」
 
ひと昔前、ふた昔前、いや、大昔ですかね。「ファンデーションは使ってません!」って某女優さんが輝く笑顔で言い放つCMがありましたね。今、私は食器を洗い上げるたびに、このCMをモジり「食洗機は使ってません!」と言い放っています。1人でですけど。
 
約2年ほど前、食洗機が欲しくて欲しくて。「絶対買うから!」って主人に宣言していたほどです。私の家事の中で嫌いな事No. 1が、食器洗いです。洗ってしまえば達成感はあるんですけど、洗うまでが腰が重く、そうこうしているうちに溜まっていく食器たち。小まめに洗えばいいのはわかっているのです。食べたらすぐ洗う、使ったらすぐ洗う。こうすればたまらない。と何度となく、気持ちを入れ替えて来た事か。でも、そんな気持ちは1日も持ちません。それくらい、食器を洗う事が嫌なんです。
 
けれど、我が家の流しは、そんな私の怠惰を許さないのです。食器をたくさん貯められるほどの大きさは無いのです…。でも、子供も生まれようとしているのに、そんな状況は許されるわけが無い。もうこれは食洗機に頼るしか無い!そう思っていました。
 
けれど、そんな私が某女優さんのCMを気取って「食洗機は使ってません!」なんて言うようになったのは、石鹸のおかげです。食器を石鹸で洗うようになったのです。これがすっごく楽しくて。石鹸で食器を洗うようになってからは、あんなに嫌いだった食器洗いが、もう洗える食器は無いかな?と思うほど、食器洗いを楽しめるようになりました。
 
さて、なぜそんなに食器洗いを石鹸でする事が楽しいか、という事について説明します。
 
 
石鹸食器洗いの楽しさ その1
洗い上がりのキュキュッと感がたまらない!
 
よく食器洗い洗剤のCMで、キュキュッってやってますよね。確かに普通の食器洗い用合成洗剤でも、キュキュッとなりますが、石鹸でもなります。むしろ、個人的には石鹸の方が、キュッとなると思います。キュッとなると同時に、水切れがいい気がします。とにかく、洗ったなー、という感覚が、合成洗剤より感じられます。なぜ「個人的に」という一言を添えたかというと、石鹸で食器を洗うときは、洗濯と同様、やっぱりコツがいるからです。それができなかった場合、ぬるついたりべたついたりしてしまうので、合成洗剤の方が綺麗になる、と感じる人もいると思うからです。私も、ずっと以前に石鹸で食器を洗った事があったんですが、その時はベタベタになって全然綺麗にならなくて、石鹸系の食器洗い用洗剤は避けていました。でも、石鹸生活に目覚めてから、固形石鹸で食器を洗ったら、全くべたつく事なく食器を綺麗に洗う事ができたのです。だから、このキュキュっと感は、もしかしたら感じない方もいるかと思って、「個人的に」なんです。でも、ポイントを抑えればきっと成功します。キュキュッとなると思います。
 
 
石鹸食器洗いの楽しさ その2
スポンジがヌルヌルしない。
 
合成洗剤を使っていた時は、スポンジ除菌できる、というものが多くて、泡を付けたままにしてしまう事が多かったです。本当はダメなんでしょうけど。スポンジ除菌の効果を発揮するためには、一度、きちんと洗ってから洗剤を付けて泡立てて放置するべきなんでしょうね。でも、ズボラな私はその一手間が面倒で、洗ったまま放置してしまっていました。そもそも合成洗剤でスポンジを洗うと、いつまで泡が残っている感じで、きれいになっているのかも分からないから、洗わなくなった、という理由もあります。
 
でも、石鹸を使うようになってからは、泡切れがいいので、食器洗いが済んだら、スポンジも洗って泡も流して終わるようになりました。石鹸を使うと、スポンジもキュッとなります。石鹸自体には除菌効果はありませんが、汚れをきれい流しておく事で、菌の増殖を防ぐ事ができると思います。菌は汚れと水分と温かさが大好きですから、逆に汚れを残さず、水をしっかり切って乾かせば、きれいな状態を保てます。
 
あと、スポンジをきれいにする事で、石鹸本来の洗浄力を発揮する事ができるのです。スポンジ自体に汚れが残っていると、食器にその汚れがついてしまって、全然きれいになりません。私が随分前に石鹸を食器洗いで失敗したのは、この辺りが原因だと思います。
 
とにかく、スポンジがいつもきれいな状態なのでえ、食器洗いに対するネガティブな気持ちが1つなくなり快適です。
 
 
石鹸食器洗いの楽しさ その3
モコモコ泡が楽しい。
 
なんだかんだ、モコモコの泡って楽しいですよね。もういい大人ですけど。
 
食器を洗う時は、泡をモコモコにする事がポイントです。泡立ってない=石鹸の洗浄成分が汚れに負けてる状態です。食器を洗う際は、泡が界面活性剤の役割をします。つまり、泡が、食器から汚れを引き剥がす役割をしています。だからモコモコにするのです。洗濯の時は、泡が汚れを落とす、という原理ではないようなんですが。洗濯の事はまた今度にして、とにもかくにも、石鹸をモコモコ泡立てて、一気に流すと、とっても気分爽快です。
 
 
その他、手が荒れにくい、環境への負荷が低い、合成洗剤は流しても食器に残留成分があって体内に入ると心配だけど石鹸はその心配がない、など他のメリットもあるようです。私はそこまでこれらについては熱い思いはないのですが(中には、切実に主婦性湿疹にお悩みの方、環境への想い、家族の健康への想いがある方もいらっしゃいますよね)、とにかく、楽しいから続けている、というのが1番です。これで食器洗いが進んで、食洗機買わなくて済んでるんですから、いい方法見つけたわ〜、とニンマリしています。
 
でも、石鹸は、使い方にコツがあって、うまくいかないと色々厄介ごとに巻き込まれます。デメリットもあるので、その辺りもまた書いていけたらな、と思います。
 
さ、溜まった食器、洗い上げよーっと。って、結局溜まってんのかーい。

「関西弁と標準語のバイリンガル」という境遇

今週のお題「方言」



関西の方の多くはきっと、標準語、嫌いですよね…。特に、関西人なのに標準語喋るヤツとか、関東の人が真似する変な関西弁とか。嫌いですよね…。あくまで体感ですが。でもでも、イキってるわけじゃないんです。誤解なんです!という人間もいることを知っていただけたら…と思っています。(中には標準語とか気にしないよ〜、な関西人の方もいらっしゃると思います。ご気分悪くしたらごめんなさい。)

 
 

私は、関西弁と標準語のバイリンガルです。関西で生まれ育ったけれど、親が関東出身で標準語を常に話していたから、家の中では標準語を話し、学校や外では関西弁を使う、という子供時代を過ごしました。

 
関西弁と標準語は、基本、家に入ったら切り替えられるのですが、関西弁モードの時でも、私の関西弁は、イントネーションは関西弁で、ちょこっと標準語まじり。
本来の関西弁「あんな〜、〇〇やんか〜」
私の関西弁「あのさ〜、〇〇やんか〜」
更にひどい時 「 あのさ〜、〇〇じゃんか〜」もはや字面は関西弁ではない…。
 
こういう喋り方になっていることは、小学生くらいから認識していましたが、特にいじめられるとか、話しにくいとかもなく、困ることはありませんでした。
しかし、実は、無意識下では無理をしていた様です。その事に気がついたのは就職してからでした。
 
 
私は、大学卒業後、東京の会社に就職しました。東京に引っ越して数日経った頃、妙に開放感を感じたのです。一人暮らしだからとか、そんな理由ではありません。何ならちょっとホームシックになりましたし。何というか、心の底の方が、フワッと軽くなる様な浮遊感。その正体は、言葉でした。東京に住み始めてから、言葉は標準語モードになっていたのですが、これがとっても楽だったのです。言いたいことが言えている感じ。そのままの自分で居られる感じです。自分の気持ちをそのまま、何のフィルターも通さず言葉にできている感じがするんです。例えるなら、海外留学時に微妙なニュアンスが英語で伝えられずもどかしいとか、海外のジョークを日本語に訳すと面白くない、の真逆、そんな感じです。分かりづらい例えですね(笑)。けれど、ホントにそんな感覚で、微妙なニュアンスをやたらと説明しなくても伝わるし(アホとバカのニュアンスとかは関西と関東では逆、と言いますよね)、ボケが冴えるのか、人から笑いも簡単に取れました。とにかく、関西弁を話さないでいいだけで、こんなに自分が楽にいられるとは思ってもいなかったし、関西にいた頃、関西弁を話す事が自分にとっては、そんなに負担になっていたんだ、という事に初めて気が付きました。
 
言葉って、やっぱり、それぞれにニュアンスがあって、例えば「あかん」と「ダメ」は同じ意味だけど、違うんですよね。私はきっと「ダメ」っていう方が自分の心の中の言葉なので、「あかん」に変換すると、微妙に気持ちとズレが生じる。何か違うなぁ、と少しずつ蓄積される。完全にどこかからの移住者ならはっきりと自覚できたと思いますが、私の場合はそうではなかったので、この蓄積を社会人になるまで、自覚していなかったのでした。
 
そうして東京に住んでいる間はずっと、標準語モードで過ごしていましたが、8年後、関西に転勤になり、実家に戻る事になりました。困ったのはここからで、転勤先の職場に行くと、関西弁モードが発動しなくなっている事に気がついたのです。どうやら、私の脳は、仕事の時は標準語モード、という仕様になってしまったらしく、仕事時に関西弁を喋るのが非常に難しく感じました。しかし、私が居た会社では、関西弁を喋らないと浮いてしまう雰囲気だった為、私はどんどん孤立していきました。恐らく、関西人のくせに標準語を話すことが、イキってる奴、と捉えられてしまっていて、元々関東出身者ならそんなに浮いてしまうことはなかったと思います。また、私が居た職場は、関西の中でも特に閉鎖的な文化が根強い場所なので、特にだったかもしれません。もしかしたら、言葉の理由だけじゃなかったのかも知れませんけど…。
 
この転勤の後、浮いてしまったからではなく、全くの別件で2社転職したのですが、この2社ともでパワハラを受ける事になりました。具体的なパワハラの内容はまた別の機会にしますが、どうやら、やはり、標準語モードの喋り方が鼻についてしまうらしいです。それがキッカケでパワハラを受けるようになっていったんだと思います。こちらも分かってはいても、どうしても仕事=標準語モードになってしまうんでね …と随分困りました。でも、相手は変えられませんから、今では、なるべく関西弁モードと標準語モードを切り替えられる様、日々訓練しております。と言っても相変わらず、家の中では標準語モードですし、買い物中とかも標準語モードです。関西弁モードの時間が多いと息苦しさを感じてしまうので、仕方ありません。
 
 
残念ながら、私はこれまで、全く同じ境遇の人に出会う機会がなく、このもどかしさや困難を分かち合ったことがありません。きっと自分の息子が喋る様になったら、その第1号となることでしょう。あぁ、でも、息子が周りから浮いちゃったら嫌だなぁ。今からなるべく関西弁を教えよう。でも、関西の方も、どうか、イキっているわけじゃないけど標準語になっちゃう関西人がいる事、お手柔らかに見ていただけると助かります。
 
 
関西に戻ってきた頃、関西弁を取り戻そうと、こんなの聞いてました。
京ことばの辞典
京都の文化のいい面も悪い面も教えてくれる気がします。例文がやたら厳しめで、「あんた、こんなおイタばっかりしてたら、あきまへんぇ〜」みたいなことばかり言ってくださいます。叱られたい方は是非。

「わたしの部屋」はキッチンです。

ブログを始めようと、先日からちょこちょことお勉強しながら、ようやくブログタイトルを考えて、さぁ始めよう、とはてなブログのトップを見たら、今週のこのお題。ブログタイトルを決めた経緯と合うので、ここからブログを始める事にします。

わたしの部屋は、キッチンです。主婦の方の中には、そういう方も多いのではないかと思うのですが、主人と息子(1歳)のご飯やらミルクやらを用意して片付けて、を繰り返していると、なんだかんだ、キッチンで過ごす時間が多いです。何かちょっとした用事(携帯のメールチェック、雑誌を読む、育児書を読む、たまに家計簿)も、結局、便宜上、家事の隙間時間にキッチンの中でやってしまう事が多いです。ダイニングのテーブルに行き着くまでに、キッチンの赤ちゃん用フェンスを跨がなくてはならない、という、正にハードルがあり、そのハードルを越える事が億劫な私。結果、どんどん、キッチンの中に私の私物が持ち込まれています。

調味料などを保管した棚の隙間に、私の読みかけの本、ノートが置いてあり、お茶っぱやコーヒー豆の間に、私が常用しているサプリやら薬が置いてある、という混沌とした景色が広がっています。

思えば、自分の母もそうでした。母も自分で、台所が自分の部屋だと言っていました。母は料理が趣味のような人で、四六時中何かしら煮炊きしていました。煮炊きしながら本を読み、コーヒーをすすり、くつろいでいました。だから、実家の台所はいつも母の読みかけの本やらレシピの切り抜きやらが積み上げられていて、正直言うと、片付けられない人の典型例みたいで、あんまりいい気持ちでは見ていませんでした。片付けなさいよ、と何度言った事でしょう。

しかし、実際自分が結婚し子供が出来てみるとどうでしょう。同じ事をしてしまっています。結婚して主人と2人だけの生活の時は、ちゃんとリビングで過ごしていました。リビングに、主人の私物、私の私物、そして共有の本棚。そこから子供が生まれた途端、そんなカテゴライズされた収納はあれよあれよと言う間に崩壊していきました。キッチンの中に私の私物が増える度、血は争えない、という言葉を、身を以て証明していることを実感します。と同時に、母は、家族の為に時間を費やす日々の中のわずかな時間を見つけて、自分の時間を楽しんでいたんだと、分かりました。片付けられない母、と思っていましたが、それだけ家族の為に時間を費やしてくれていたんだと、感謝の気持ちが湧いてきました。

今、私は、キッチンでブログを書いています。キッチンと言っても、超ミニマムなキッチン。ミニマムな環境故、ミニマリストにならざるを得ないエセミニマリストです。我が家のキッチン、2畳程です。2畳の中にシンクやガス台、調理台、収納棚。そんな環境だからノートパソコンなんか置けない、タブレットすら怪しい。そう、スマホBluetoothキーボードを駆使して書いています。でも、こうやってキッチンで過ごす自分と母を重ね、変かも知れないけど、あぁ、私、母親になっていっているんだなぁ、と思ったりしてしまいます。

さて、今後は、そんなミニマムな環境の理由や改善策、ミニマムな家の中での育児やら、全然関係ないこれまでの事など、キッチンで書いていこうと思います。

とは言っても、いづれ欲しいなぁ。もっとでっかいキッチン。いや、ちゃんとしたわたしの部屋があるお家。あぁ、でも、わたしの部屋があっても結局、キッチンで過ごしてしまう自分になっていくんだろうなぁ。結局、怠惰なだけなのだと思います。


ブログの事、はてなの事、まだまだ勉強不足の不束者ですが、もし、読んで下さった方がいらっしゃったら、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。